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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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旧外浦町の碑

                            長崎県キリシタン関連史跡

大村純忠が開いた町


長崎に最初にできた町の一つ外浦町を示す石碑。
この町は日本初のキリシタン大名、大村純忠が開いたものでした。

松浦隆信によるポルトガル船襲撃(結果的にはポルトガルが勝利する)の後、ポルトガル人は福田港への入港をやめ、新たな港を探すようになりました。調査の結果長崎が天然の良港を有し、交易に適することがわかりました。領主 大村純忠はポルトガルの要求に応え、長崎を開港し、長崎の岬に6町を築きました。これが長崎の町の始まりで、岬に長くできた町だったので「長(な)んか岬」→長崎の名がつけられました。


旧外浦町の碑


長崎が開港するとポルトガル船が毎年定期的に入港するようになり長崎の町はどんどん栄えていき、人口も増えましたが、隣り合う地域の領主との勢力争いがより一層激しくなっていきました。

そういった状況を打破するために、大村純忠は思い切った策に出ます。それは長崎をイエズス会へ寄進すること。

イエズス会では知行地を受けることは禁止されていたので、申し出を受けたヴァリニャーノは悩みましたが、1年近く検討した末、1580年ついにその申し出を受けることにしました。

実際にイエズス会に与えられたのは、長崎の支配権と徴税権のみで、司法権は大村の役人が持ち、船からの貿易税は純忠が取り、碇泊料はイエズス会が徴収するという中途半端な形ではありましたが、この寄進が後の日本のキリシタン政策に与えた影響は小さくありませんでした。

領地を持つということで、宣教師が日本に対して領土的野心を持っているという疑いが深まることとなり、キリシタン大名が外国勢力と結びつくことで強大な力を持つのではないかという恐れが、時の権力者たちの頭痛の種となりました。

現在は万才町と名を変えた旧外浦町の碑は、長崎をイエズス会に寄進した大村純忠の苦悩、そして政治的野心を疑われることで引き起こされた数々の悲劇を、深く考えさせるものだと思います。



旧外浦町の石碑



 
現地への行き方
路面電車「大波止」駅から徒歩5分。農林中央金庫の前にあります。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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