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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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牢屋の窄殉教記念教会

                            長崎県教会、キリシタン関連地

足元のカーペットは牢屋の広さ


牢屋の窄に建てられた教会。最初の教会は1969(昭和44)年、九州電力の発電所の建物を利用して建てられました。

現在の聖堂の建設は1984(昭和59)年。聖堂内部のカーペットの広さは12畳で、信徒たちが入れられた牢屋の広さと同じです。


牢屋の窄殉教記念教会


「五島崩れ」の発端となる久賀島のキリシタン迫害が始まったのは、1968(明治元)年。

久賀島でキリシタン23名が露見して捕らえられ、福江島の牢に送られたのですが、取調べの際に「神仏を捨ててキリシタンとして生きたい」と代官に申し出たのがきっかけでした。

折りしも福江島の富江で騒動が起きたため、代官は信徒を久賀島に連れ戻し、そこで牢屋に入れるよう指示しました。戻された23名は島で信仰を表明して逮捕されたキリシタン200人と共に、わずか6坪(12畳)の牢屋に押し込まれました。

雨戸が閉められた牢では立ったまま身動きもできない状態で、人の体にせり上げられて地に足が着いていない者も多かったといいます。入牢者の中には乳児もいるのに役人の扱いは容赦なく、死者が出ても牢から出して葬ることを許されなかったので、衛生的にも劣悪な環境でした。

食事といえば朝夕に小さなサツマイモ1切れずつで、体力のない老人と子供たちは次々と命を失いました。約8ヶ月の入牢生活で死者は39名に上り、牢から開放された後にも、体が回復しなかった3名が息を引き取りました。

教会に入ると・・・


現在、牢屋の窄殉教地の横には真新しい聖堂が建てられています。中に入ると室内は明るくモダンな設えで、木造のキリスト像だけが身をよじっています。しかし足元に目を落とすと色の違ったカーペットが敷かれているのに気づきます。その大きさは12畳。信徒たちが入れられた牢と同じ広さです。

「広さ」という言い方をすることさえ、罪悪感を感じるような「狭さ」で、この中に200人余りの人間を詰め込んだこと自体、想像を絶する拷問であると感じます。そこに8ヶ月もの間留まった彼らの信仰は、私が持っていると称する信仰と同じものであろうかと、疑問が浮かぶくらいです。

一人一人の人間をそれほどまでに強くさせる「信仰」という力について、その力を与える方について、この教会で祈りつつ思いをめぐらすことは、無駄ではないと思います。



牢屋の窄殉教記念教会

解説板

監視所跡の碑

聖堂内


マリア像

キリスト像

玄関の板

聖堂解説板

置かれていた石

殉教地入口

海を望む高台にある



 
現地への行き方
久賀島田ノ浦港から車で10分。住所は五島市久賀町大開で、牢屋の窄の左手前にあります。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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