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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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カトリック水ノ浦教会

                             長崎県教会、キリスト教関連史跡  

海を見下ろす貴婦人のような教会


五島崩れとよばれる迫害が起こった地に建つ教会。海を見下ろす素晴らしい立地で、白亜の教会堂も大変優雅で美しいので、こんな風光明媚で穏やかなところでキリシタンが捕らえられて牢に打ち入れられていたとは、到底想像もできません。


五島のキリシタン


五島藩では藩主がキリシタン弾圧を始めたため17世紀半ばには信徒がいなくなりましたが、大村藩からの移住者で再びキリシタンが住む島へと返り咲きました。

大村藩(長崎県北部)では経済的安定のため「間引き」(長男だけを残して他の子供たちを殺すこと)を領民に強制していたのですが、隠れキリシタンとして生きる信徒らは、そのような教義に反する行為にとても苦しんでいました。

1787(天明7)年、五島藩が開拓移民を大村藩に申し入れ、外海から108名が海を渡りました。彼らは隠れて信仰を守るキリシタンで、土地を新しく開墾することで「間引き」を避けようとしたのです。

五島藩の要請は1千人でしたが、結果として3千人が移り住むようになり、ここ福江島は再びキリシタンの住む島となりました。

五島崩れと水ノ浦


水ノ浦は外海から移住してきたキリシタンの子孫の村で、代々帳方水方を引き継いで隠れて信仰を守り続けていました。信徒発見後、密かに来島した浦上村の守山甚三郎から、新しい時代が来たことを聞いた水浦久三郎らは、大浦天主堂に行って神父から祝福を受け、島に戻って信仰を表明しました。

ちょうどその頃長崎の浦上村や五島列島の全土から続々とキリシタンが現れて、政府は対応に苦慮していました。徳川幕府から受け継がれたキリスト教禁令はまだ効力があり、天皇中心の体制を確固たるものとしようとする政府にとって、キリシタンの出現は安定を脅かすものと捉えられ、弾圧の方針が採られました。五島列島の各地でキリシタンが逮捕され、仮仕立ての牢に打ち込まれ江戸時代のキリシタン拷問と同じような方法で棄教を迫られました。

これを「五島崩れ」といい、「崩れ」とは信徒組織の発覚と弾圧のことを指します。
「五島崩れ」は福江島に近い久賀島で始まり、その後水ノ浦や楠原、また上五島の鷹巣(たかのす)などに飛び火し広がっていきました。

水ノ浦では1868(明治元)年クリスマスに役人が水浦久三郎宅に踏み込み、60人余りの信徒を検挙して牢に入れ、拷問しました。その牢跡はこの教会のすぐ近くにあります。

水ノ浦教会


キリスト教禁令の高札撤去後の1880(明治13)年、水ノ浦に最初の木造教会が建てられました。現在の聖堂が建てられたのは1938(昭和13)年。鉄川与助の設計で、与助の設計したリブ・ヴォールトを持つ教会では最後のものとされています。またこの教会は現存する木造教会としては日本最大級のものです。

海辺にたたずむ瀟洒な印象のこの教会堂は、楠原の男性的な雰囲気とは対照に、貴婦人のような女性的な教会として知られています。



水ノ浦教会解説

水ノ浦教会

尖塔の十字架

入口

水ノ浦教会

側面

聖堂内

聖堂内

信徒席


ステンドグラス

内部

窓辺

ステンドグラス

ステンドグラス

聖像

内部

ステンドグラス

後方

ステンドグラス


入口から

教会入口

ルルド



 
現地への行き方
福江港から車で20分。住所は五島市岐宿町岐宿1644です。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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