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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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春徳寺

                            長崎県教会跡、キリシタン関連史跡

高山右近が祈っていた


長崎最初に建てられた教会、トードス・オス・サントス教会があった場所。「トードス・オス・サントス」とはポルトガル語で「諸聖人に捧げられた教会」という意味で、ここにセミナリヨとコレジヨ、印刷所などが置かれていた時期もありました。

キリシタン大名であった高山右近(棄教を断り所領没収され前田家の客将となっていた)は、マニラに追放される前の数日間をここで祈って過ごしました。
現在は春徳寺という寺院となっていて、中に残る切支丹井戸を見るには許可が必要です。


春徳寺


長崎におけるキリスト教の布教は1567(永禄10)年から始まり、最初の教会は1569(永禄12)年、この場所に建てられました。

土地は、長崎の領主でありキリシタンでもあった長崎甚左衛門が宣教師ガスパル・ヴィレラに与えたもので、廃寺が残っていたのですが、ヴィレラはそれを増改築して、小さいながらも美しい教会を建てました。この教会は「トードス・オス・サントス教会」と名付けられ、長崎で初めての記念すべき教会となりました。

教会の歴史


1574(天正2)年、伊佐早(諫早)の西郷とその弟 深堀氏が長崎甚左衛門の館と集落を攻撃した時に、教会は一度焼失しましたが、すぐに再建されました。

1587(天正15)年に豊臣秀吉の伴天連追放令が発布され、1592(天正20)に教会の破壊命令が下された時、迫害を受けた司祭たちはミゼリコルディア本部と共にこの教会に身を寄せました。

1597(慶長2)年西坂での26人の殉教事件の後の迫害で、天草にあったノビシアードとコレジヨ、印刷所が一時的にここに移ってきました。多くの生徒たちは家に戻り、哲学と神学の最上級生だけが、このトードス・オス・サントス教会の敷地内でコレジヨの勉強を続けました。

1612(慶長17)年、キリシタン大名有馬晴信の息子有馬直純が棄教し、迫害するようになったため有馬にあったセミナリヨがここに移されました。
元キリシタン大名で、この時は金沢の前田家の客将となっていた高山右近は、国外追放の身となりマニラに流される前の数日間、ここで日本最後の日々を過ごして霊操(イエズス会創立者であるイグナチウス・デ・ロヨラが発案した祈りのプログラム)に励みました。

1614(慶長19)年、徳川幕府の禁教令が発布され、教会は閉鎖され破壊されましたが、完全な破壊は免れて建物は1619(元和5)年まで残されていました。

1630(寛永7)年、現在の立山周辺に臨済宗建仁寺派春徳寺が創建され、1640(寛永17)年、長崎代官の2代目末次平蔵茂貞の意向で、トードス・オス・サンオス教会が破壊された跡地へと春徳寺が移築されて現在に至っています。

いまも敷地内には、教会が建っていたキリシタン時代の貴重な遺構として切支丹井戸が残っています。また昭和になって、本堂の裏を改修する際に床の下から発見された大理石も教会時代のものと思われますが、これらの見学にはあらかじめ連絡して予約することが必要です。


 


春徳寺

春徳寺

石碑

解説板

石碑

春徳寺瓦

春徳寺の木

春徳寺の木



 
現地への行き方
路面電車「蛍茶屋」下車、徒歩7分。住所は長崎市夫婦川町11-1です。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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