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聖コルベ記念館

                            長崎県記念館、キリスト教関連史跡

コルベ神父の心


強制収容所で身代わりになって亡くなった聖人の記念館。コルベ神父は、1894年ポーランドに生まれたコンベンツアル聖フランシスコ修道会の司祭で、御心を感じて来日し、長崎で出版による宣教活動をしていました。亡くなった時の年齢は47歳。師の崇高な行いと死は、死後25年経って世界が知るようになりました。


聖コルベ記念館


コルベ神父が日本に来たのは1930(昭和5)年。後に戦災孤児や貧しい人の救済に奔走することとなるゼノ修道士と共に、船で長崎に到着しました。

ポーランドから来る際、コルベ神父がゼノ修道士に言った誘い文句は、「東の果てに日本という小さな島国があります。不思議な国で殉教者の島です。あなた、私と一緒に行ってくれますか?」だったそうです。

中に入ると様々なパネル展示と聖人ゆかりの品々で、コルベ神父の人柄と成そうとしたことを知ることができます。



直筆

証明書

神父のマリア像

修道院の呼び鈴

コルベ神父の手紙

神父のレントゲン写真

最後の記念写真

修道院の建設

パネル展示

身代わりとなった

ガヨヴィニチェク氏

餓死房

殉教地

ガヨヴィニチェク氏

神父の遺髪

ローマ教皇来館

神父の部屋でサイン

ヨハネ・パウロ2世のサイン

サインに用いられた

ヨハネ・パウロ2世

聖コルベ神父の部屋


展示室の真ん中に「聖コルベの部屋」と書かれた部屋があり、神父が実際に使用した机やイスなどが置かれています。

これらの物はゼノ修道士の手作りで、この部屋は部屋ごとここに移設されたものなので、壁の小さな窓などから、神父がどのように生活していたかをうかがい知ることができます。

日本巡回中に来館したヨハネ・パウロ2世がサインしたのもこの机で、この歴史が刻まれたイスにも机にも実際に触れてみることができます。

ゼノ修道士


この部屋と調度品を手作りしたゼノ修道士についても、展示を通して学ぶことができます。コルベ神父と共に来日し、神父亡き後も日本で戦災孤児の救済などの活動で全国を走り回ったゼノ修道士は、「ゼノさん」とよばれ、日本の戦後復興を人道的視点から支え続けました。

焼け野原となった日本で、日の当たらないところに取り残されていた貧しい人たちの友となり、頼る人もいない孤児たちを物心両面で育み、立ち上がらせました。活動を認めた政府はゼノ修道士に国鉄のフリーパスを発行し、多くの私鉄もそれに倣って無料乗車券を贈りました。



聖コルベの部屋

神父の机

神父の机

壁の小窓

天井

ゼノ修道士

救済活動

教皇との特別謁見

国鉄フリーパス

私鉄のフリーパス

ゼノさんのカバン

用いたはがき

聖母の騎士


コルベ神父はポーランドで1927年にニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を創立し、出版による宣教に力を注ぎました。

来日してからもそれは同じで、長崎到着後約一ヶ月で第一号の「聖母の騎士」を発行しました。

展示品の中には記念すべき創刊号からの初期の月刊誌があり、印刷に用いられた機械などが当時の様子を物語っています。


創刊号

機材

活字

印刷機

当時の様子

ポーランドの出版物

神父がいた頃の修道院

新聞小説などで


日本でコルベ神父について知られるきっかけになったのは、遠藤周作の新聞小説「女の一生 第二部」。

この小説の冒頭部分にはコルベ神父らが長崎に上陸した様子が書かれ、アウシュビッツでの神父の死も描かれています。

記念館の展示品の中には、遠藤周作ら神父の死後に関わりを持つようになった人々のものや、生前長崎で親交のあった永井隆博士らの色紙などのものもあります。

「殉教者」とは元々信仰のゆえに殺された人を指す言葉であったため、コルベ神父の死がそれにあたるかどうか、議論がなされていました。「愛の殉教者」という言い方がされるようになって、神父が列福されたのは1971年。さらに聖人の列に上げられるには「奇蹟」という要件が必要でした。このことについて現地に飛んで調べた曽野綾子の「奇蹟」という本も展示ケースの中に置かれていて、神父の生と死を現代的な観点からも考える機会を与えています。



永井隆の筆

永井隆と修道院

永井隆のサイン

教科書に載っている

原稿

解説文

遠藤周作の直筆

北原怜子の習字

韓国語

「奇蹟」説明文

「奇蹟」

敷地で発掘された十字架


展示品の中にはたった一点ですが、キリシタン時代の十字架も並べられています。

長崎は戦国から江戸初期にキリシタンの町として栄え、浦上村には隠れて守るキリシタンが残っていましたが、ここ(本河内町)は長崎市郊外で、浦上村からも離れた地域。

「キリシタンがいたというのはおかしい」というほどではありませんが、キリシタン遺物がどこにでも埋まっているというほど、キリシタンと関わりがある土地ではないのです。

教会敷地の整地工事で、このような十字架が見つかったのは、「キリシタン時代の祈りが教会を呼び寄せた」と言っても過言ではないかと考えます。コルベ神父が「殉教の島・日本」と認識していたこと、またその神父自身が後で殉教者となって世界に知られるようなった事実を思うと、あまりに不思議だと言わざるを得ず、やはり時を超えた思いというものがあるのではないかと感じます。



十字架



 
現地への行き方
路面電車「蛍茶屋」下車、徒歩15分。カトリック本河内教会の敷地にあります。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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