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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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サン・フランシスコ・ザベリオ堂跡

                        長崎県教会跡、浦上キリシタン関連史跡

浦上キリシタンの秘密教会


信徒発見後も信仰の自由がなかった時代、浦上キリシタンが秘密の教会とした場所。
1865(慶応元)年からの3年間、信徒たちは大浦天主堂から密かに神父たちを迎え入れて、ここを大浦天主堂の巡回教会としました。

「浦上四番崩れ」の舞台となった場所でもあります。


サン・フランシスコ・ザベリオ教会跡


信徒発見後、浦上村のキリシタンたちは今後の方針を村全体で話し合いました。二百数十年の長きに亘り忍従を強いられてきた彼らには、今こそ全てを明らかにし、新たに始めるチャンスだと思われました。

そこで浦上村山里4郷の総代は、檀那寺との関係を絶って寺請制度には従わないとする文面を庄屋に提出。死亡した信徒の亡骸を従来のように仏式の葬式をせず、自分たちで葬りました。

これを「浦上キリシタン自葬事件」といい、このことが幕府の目に留まりました。長崎奉行所は浦上村のキリシタンの状況を密かに偵察し、「サンタ・マリア堂」、「サン・ヨゼフ堂」、「サンタ・クララ堂」、「サン・フランシスコ・ザベリオ堂」の4つの秘密教会があることをつき止めます。

浦上浦上四番崩れ


1867(慶応3)年7月15日の未明、突如この教会に役人が押し入り、泊っていた守山甚三郎らが捕らえられました。その後高木仙右衛門などの信徒が捕縛され、合わせて68名が桜町牢に入れられました。これが「浦上四番崩れ」の始まりで、彼らは明治の世になってからも信仰の自由を与えられず、そればかりかキリスト教を信じることをやめないからという理由で、西日本各地へと配流され、そこで囚人として暮らすことを余儀なくされたのです。

浦上の信徒たちは流配地でも耐え抜き、禁教令の高札が撤去された1873(明治6)年、ようやく長崎に戻ることを許されました。しかしこの間に、流配地の劣悪な環境と拷問とで命を落とした者は613名におよびました。

現在サン・フランシスコ・ザベリオ堂跡には碑と説明板が建てられています。これらは信徒発見125周年を記念してこの歴史の地に建てられたものです。



石碑

説明板



 
現地への行き方
路面電車「大橋」下車、徒歩10分。長崎市永井隆記念館の近所にあります。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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