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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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如己堂

                            長崎県クリスチャン関連史跡

帳方屋敷跡に建つ永井隆の病室兼書斎


如己堂(にょこどう)は、平和を訴えた医師永井隆が、病に倒れながらも著作をつづった家。潜伏キリシタンのリーダー「帳方」の屋敷跡に建つ永井隆記念館敷地内にあり、外から常時見ることができます。

永井隆は長崎医科大学で医師として働いていましたが、戦時中の物資不足のため、レントゲン画像を直接肉眼で見ざるを得ず、大量の放射線を受け、白血病に冒されてしまいました。余命3ヶ月と宣告された、そのわずか2ヵ月後に今度は長崎に落とされた原爆で被爆。自らも重症を負いながら、被爆した人たちの救護活動を行いました。


如己堂


永井隆は浦上天主堂に通うクリスチャンで、原爆で壊滅した天主堂の鐘を鳴らそうと提案しました。

神父や信徒たちと爆風で飛ばされたフランス製のアンジェラスの鐘を廃墟から掘り起こし、3本足で組んだ丸太に吊り下げました。そして原爆が落とされて初めて迎えるクリスマス・イブの夜、浦上の町に被災者たちの気持ちを奮い立たせるかのように鐘の音が響きわたったのです。

翌年、永井隆はアンジェラスの鐘を題材として平和を訴えた「長崎の鐘」を著し、ベストセラーとなりました。

長崎市永井隆記念館の敷地に建つこの家は、浦上の人たちが永井隆博士に贈ったもので、博士の座右の銘「己の如く人を愛せよ」から「如己堂」と名付けられました。病が進行して床に伏すこととなりましたが、如己堂を病室兼書斎とし、「花咲く丘」「この子を残して」などを書き残し、平和を訴えました。



如己堂

内部

如己堂について

永井隆のデスマスク

永井隆

十字架

室内

詩碑

如己堂解説板

帳方屋敷跡

帳方屋敷跡



 
現地への行き方
路面電車「大橋」下車、徒歩10分。住所は長崎市上野町22-6で、長崎市永井隆記念館敷地内の左手にあります。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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