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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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浦上天主堂

                           長崎県教会跡、浦上キリシタン関連史跡

絵踏みが行われた場所に教会が


カトリック長崎大司教区のカテドラル(司教座教会)。カトリック浦上教会とよばれることもあります。

現在浦上天主堂が建つ場所は、江戸時代に絵踏みや弾圧がおこなわれていた高谷家の庄屋があった場所で、今でも庄屋の頃の遺構として、当時の石垣の一部が残っています。幕末に起こった浦上キリシタンの一斉摘発事件「浦上四番崩れ」で、村の大半の人たちが長崎奉行所に捕らえられ拷問を受けました。大政奉還の後明治政府もキリシタン禁令を引継ぎ、逮捕した信徒たちを西日本各地に総流罪としました。

その後、諸外国からの抗議もあり、明治6(1873)年にようやく政府は禁教令の高札を撤去し、浦上のキリシタンたちは釈放されました。浦上村へ帰還した人々は、生活の困苦に耐えながらも信仰の自由を得たことを喜び感謝して、この庄屋の跡地を明治13(1880)年に買い受け、仮聖堂を建てました。


浦上天主堂


浦上天主堂は、フレノ神父の指導のもと教会堂建設に着工、後任のラゲ神父が作業を引き継ぎ未完成のまま大正3(1914)年献堂式を迎えました。ヒューゼ神父が未完の教会堂に双塔をとフランス製のアンジェラスの鐘を取り付け、大正14(1925)年にようやく完成。東洋一と呼ばれるほどに立派な教会堂が完成しました。

しかしその聖堂は昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、近くに投下された原子爆弾の爆風によって壊滅。吹き飛んだ双塔や天主堂のレンガ壁の一部が、現在も遺構として残されています。

売店のある浦上教会信徒会館2Fロビーの一角にある原爆資料室には、熱線で破壊された燭台や溶けたステンドグラスなどが展示されています。再建された浦上天主堂は昭和37(1962)年に司教座聖堂に指定され、それまで司教座聖堂であった大浦天主堂は準司教座聖堂になり現在に至っています。

近くで見ることができず残念ですが、天主堂の中央祭壇には聖パウロ三木、聖ヨハネ宗庵、聖ヤコボ喜斉殉教者の遺骨が納められ、両脇祭壇には聖パウロ三木と聖ヤコボ喜斉と、その他1名ずつの殉教者の遺骨が納められています。また十字架の道行きの壁画は中田秀和氏によるもので、等身大に近い大きさで主の歩まれた道を描いています。



解説板

解説板

石垣

浦上天主堂

側面

解説板

石碑

被爆したマリア像

ファサードの聖像

旧聖堂の遺構

ヨハネ・パウロ二世像

聖像

教会案内

浦上キリシタンの碑

浦上キリシタン解説

信仰の礎

拷問石解説板

拷問石

ルドビコ茨木像

ルドビコ茨木像



 
現地への行き方
路面電車「松山町」下車、徒歩10分。住所は長崎市本尾町1-79です。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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