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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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サン・フランシスコ教会跡

                            長崎県教会跡、キリシタン関連史跡

教会は未完成のまま破壊され、その後牢に・・・


キリシタン時代フランシスコ会神父によって教会が建てられていた場所。この教会は未完成のうちに取り壊され、跡地には牢屋が建てられました。

この牢では多くのキリシタンが幽閉され苦しみを受けました。幕末の「信徒発見」によってその存在が明らかになった浦上キリシタンも、この牢に入れられ、棄教しなかった者は西日本各地に配流されました。


サン・フランシスコ教会跡


1611(慶長16)年、フランシスコ会宣教師ペドロ・デラ・アスンシオン神父は、教会堂と修道院の建設に着手しました。しかし徳川幕府による禁教令で、教会は完成をみないまま1614(慶長19)年に破壊され、その跡地に桜町牢が置かれました。

この牢にはキリシタン禁教の時代に、多くのキリシタンが入れられ、改宗を強いられました。その後長崎のキリシタンは、隠れて信仰を守る潜伏の時代に入っていくのですが、幕府はその存在を把握していませんでした。


浦上キリシタンと桜町牢


幕末になって幕府は部分的に鎖国を解き、長崎に外国人の居留を認めました。その中に日本にいる外国人のためにという名目で教会を建てる神父がいました。パリ外国宣教会の神父たちです。その教会に2百数十年間も自分たちだけで信仰を伝え守ってきた浦上キリシタンが現れました。

この事件は「信徒発見」と名づけられ、日本人信徒の一途で粘り強い信仰が世界を驚かせるのですが、皮肉にもこれがキリシタンへの最後の迫害を引き起こしました。2百数十年ぶりに教会に復帰した信徒たちは、今までのように仏教式に死者を埋葬することをやめ、それが幕府への反抗と見なされました。日本は開国したものの、まだキリスト教禁令の高札は撤去されていなかったのです。

信徒たちは逮捕され、ここにあった桜町牢に入れられました。そして棄教に応じなかった者は、西日本各地へと流配されていきました。この最後の迫害を「浦上四番崩れ」といい、各地への流配を、信徒たちは「旅」とよんで耐え忍びました。

現在桜町牢の跡地は、長崎市役所の別館となっています。


サン・フランシスコ教会跡碑
サン・フランシスコ教会跡碑
サン・フランシスコ教会跡解説
サン・フランシスコ教会跡解説



 
現地への行き方
路面電車「桜町」下車、徒歩5分。碑は長崎市役所別館(長崎市桜町6-3)の敷地に建てられています。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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