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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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サント・ドミンゴ教会跡資料館

                            長崎県教会跡、キリシタン遺物

発掘された教会


1609(慶長14)年にドミニコ会士が建てた教会の跡。小学校の建て直しの際に発見され、発掘された遺構がそのままの形で見られるように保存されています。


サント・ドミンゴ教会跡資料館


鹿児島を追われて長崎にやって来たドミニコ会のモラレス神父は、キリシタンであった長崎代官・村山等安から教会用地の寄進を受け、ここに聖ドミニコの名を冠したサント・ドミンゴ教会を建てました。

建築には、鹿児島を逃れるときに解体して持って来た教会堂の用材を再利用したと伝えられています。この教会は徳川幕府のキリスト教禁令で1614(慶長19)年に破壊され、跡地には代官屋敷が建てられました。

2002年からの小学校の建て直しの際、教会時代の石畳や地下室、排水溝、大量の花十字紋瓦などが発見されました。その地層の上には、教会破却後に建てられた代官屋敷時代の井戸などの遺構が残されており、教会が破却され、キリスト教を迫害する側である長崎代官の屋敷へと、劇的に変貌していった様子が窺えます。

時代の変遷を語る貴重な史料であることから、長崎市では発掘現場をそのまま保存し、資料館として公開することとしました。資料館は桜町小学校の敷地にあり、管理は長崎市教育委員会が行っています。

長崎代官の移り変わり


教会用地を寄進した村山等安は、商人として富を得て長崎代官となった人物。熱心なキリシタンでもありました。しかし徳川の時代になり、村山等安の命運は一転。豊臣側であり、かつキリスト教徒であったことから処刑され、長崎代官の地位は末次平蔵が受けました。村山等安の失脚と共に教会の未来も暗転。1614(慶長19)年にサント・ゴミンゴ教会は破却され、その跡地に1619(元和5)年、長崎代官となった末次平蔵がここを代官屋敷としました。

末次家は貿易で巨万の富を得て権力をふるいますが、密貿易が発覚して失脚。1739(元文4)年から幕末までは、次の長崎代官となった高木家が世襲しました。資料館では村山、末次、高木それぞれの時代の地層と遺構を見ることができます。


教会時代の地下室
教会時代の地下室
高木家時代の井戸
高木家時代の井戸
教会時代の石畳
教会時代の石畳
教会時代の排水溝
教会時代の排水溝

資料館

勝山町遺跡について

平成の発見

時代の変遷

教会時代の地下室解説

教会時代の地下室

教会時代の石畳解説

教会時代の石畳

教会時代の排水溝解説

教会時代の排水溝

教会時代の遺構解説

教会時代の遺構

発掘された花十字紋瓦

花十字紋瓦

文様の違い

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

花十字紋瓦

キリシタン時代の長崎

メダイ

メダイ

ここでの発掘品

メダイ

ここでの発掘品

十字架

十字架

聖骨箱



 
現地への行き方
路面電車「市役所前」から徒歩2分。住所は長崎県長崎市勝山町30‐1(桜町小学校内)です。

訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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