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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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西坂殉教地

                            長崎県殉教地、キリスト教関連史跡

日本26聖人の殉教地


1597(慶長元)年2月5日、京都から連れて来られた26人のキリシタンが処刑された場所。彼らは後に日本26聖人に列せられ、世界に知られるようになりました。

ここはかつて海に突き出した小さな岬であり、キリシタンの処刑は長崎湾に繋留する船からも見えるようにセッティングされていました。キリシタンの処刑は26聖人に留まらず、ここで600人以上のキリシタンが殉教したと伝えられています。

1950(昭和25)年、時のローマ教皇ピオ12世は当地をカトリックの公式巡礼地に指定し、1956(昭和31)年には長崎県指定の史跡となりました。1962(昭和37)年、26聖人が列聖されて100年目に記念碑と記念館が建てられ西坂公園ができ、世界中の人が訪れる巡礼地となりました。


西坂殉教地


フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた1549年から、徳川幕府の鎖国体制が整うまでの約1世紀の期間は「切支丹の世紀」とも呼ばれています。

時の権力者によるキリシタン政策は、公認から黙認、黙認から否認、弾圧へと次第に態度を硬化するもので、その過程で多くの者が処刑されていきました。

公認から否認への象徴ともいえるのが長崎での26聖人の殉教で、これは日本の最高権力者の命令による最初のキリシタン処刑でした。ここで行われたもう一つの大規模な処刑は1622年の元和の大殉教で、5歳や3歳の幼児を含む55名の宣教師と信徒が殺されました。

公園内に建つ二十六聖人記念碑は、カトリックのクリスチャンでもある舟越保武氏の作で、26人の殉教の瞬間を捉えたもの。氏はこの作品で高村光太郎賞を受賞し、代表作となりました。舟越保武氏は2002年、26聖人の殉教したのと同じ2月5日に亡くなりました。

1981(昭和56)年にこの地を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世は、殉教者たちは神と隣人への愛が最高の価値を持つと証明した人たちなのだとし、ここを「至福の丘」と命名しました。



西坂殉教地について

日本二十六聖人記念碑

日本二十六聖人

日本二十六聖人

日本二十六聖人

日本二十六聖人

日本二十六聖人

日本二十六聖人

記念碑

日本二十六聖人

記念碑前のモザイク

記念碑前のモザイク

ルイス・フロイスについて

至福の丘



 
現地への行き方
JR長崎駅から徒歩5分。


訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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