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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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島原城

                          長崎県キリシタン関連史跡、キリシタン遺物

島原の乱の原因を作った城で展示されるキリシタン遺物


島原藩主、松倉重政が1618年から7年3ヶ月の歳月と延べ100万人に上る農民の使役と重税をかけてつくった城。別名森岳城。

特にキリシタンに対しては考えうる限りの残虐な弾圧を加えて労務と重税を課したので、島原の乱を引き起こす原因となりました。


島原城


司馬遼太郎は「街道を行く~島原、天草の諸道」の中で、「日本史の中で(松倉)重政という人物ほど忌むべき存在は少ない。重政の弾圧ほどけたはずれに凄惨であった例はない」と語っています。

石高に合わない、身分不相応な城を建てようとしたことがそもそもの間違いだったといえるでしょう。

松倉重政は当時ヨーロッパまで知られた「雲仙地獄責め」の発案者で、多くの信徒と宣教師を牢屋に入れ、激しい拷問を加えました。重政の死後、家督を継いだ息子の勝家は、さらに税を重くしたので、1634年から続いた旱魃による凶作で、餓死者が続出しました。

それにも関わらず納税が遅れると、家族を人質に取り拷問を加えました。臨月の身で裸で水牢に入れられ6昼夜苦しめられて母子ともに殺された領民もいました。また税を納められない農民に蓑を着せ、火をつけ、転げまわってもだえる様子を「蓑踊り」と称して楽しみました。

のちに幕府はあまりにも残虐なこの政策を「政道よろしからざる故」として領地を没収し、勝家を処刑して松倉家はつぶされました。

現在島原城の天守閣には、天草四郎肖像画、マリア観音像、踏み絵帳などのキリシタン史料が多数展示されています。島原の乱の原因をつくった城に、キリシタン遺物が展示されているというのが、歴史の皮肉に思えます。しかしキリシタン遺物は一見の価値ありです。


島原城

島原城

島原城

島原城天守からの眺め



 現地への行き方
諫早方面から国道251号をずっと進んでいくと、案内板があり容易に見つけられます。JR島原駅からも近いです。


訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション
ながさき旅ネット
旅する長崎学
島原城ポータルサイト


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