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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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鈴田牢跡

                             長崎県牢屋跡、キリシタン関連史跡

鳥かごのような牢獄で


元和3(1617)年から寛永2(1625)年まで、スピノラ神父ら外国人宣教師30数名を収監していた牢屋の跡です。

奥行き6.6メートル、間口4.6メートル(約12畳)の広さの、竹の柱で囲んだ鳥かごのような狭い空間に押し込まれた人々は、体を伸ばしたり横に寝ることも自由にできませんでした。


鈴田牢跡


鈴田牢のあった丘には、現在十字架が建てられています。

牢屋から発信されたスピノラ神父の手紙によって、当時の日本の迫害の様子がヨーロッパに伝えられ、世界中に鈴田牢の名前が知られるようになりました。

鈴田牢跡の十字架


竹の柱で囲まれた囚人牢と、それを見張る管理棟があり、脱走できないよう二重に柵で囲まれていました。

部屋といっても柱で囲まれた空間なので、雨の日には雨が降り、風の日には風が吹き込むという有様で、風雪に体力を奪われ牢死した者もいました。

食事はもちろん排泄までもその場でしなくてはならず、衛生面でも最悪の状態におかれたために、病気を発症する者も多く、病人を介抱するにも祈るほかにはありませんでした。

鈴田牢の平面図


病人が力尽きて亡くなると遺体はしばらくしてから牢の外に出されましたが、最後まで生きのびてここから出た人々も、その多くが元和の大殉教の際、西坂で処刑されました。

ここでは2名が牢死し、フランコ神父ら8名は放虎原で殉教し、スピノラ神父ら25名は長崎に護送され、西坂で殉教しました。

殉教は元和8(1622)年のことでした。


十字架

十字架

鈴田牢跡

鈴田牢解説板

鈴田牢解説板

平面図

解説碑

鈴田牢からの風景



 現地への行き方
大村市街地から国道34号線を南下し、県道37号線にぶつかったら右折してさらに南下。県道37号線を道なりに進みながら左手の山を注意して見ていると、白い十字架が見えてくるので、そこを目指して丘に上って行くと鈴田牢の駐車場が現れます。


訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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